新聞、雑誌、テレビ、ネット、なんにせよ目にする情報は「ある一部が切り取られたもの」でしかないのです。その一部を見て何かを判断したり、わかったような気になったり、好きになったり嫌いになったり。
犯罪者の周りの人の評価が「よく挨拶をするいい人でした」なんてのはよくあることですが、犯罪を犯した人をその部分や、それに関連した部分で切り取ってみれば、もう100%犯罪者にしか見えないでしょう。
たまに自分のしていることがすごく悪いことのような気がする時もあります。ジジィと同居しながらまったく甲斐甲斐しく接していませんし。そんな一コマをもし切り取られてしまったら、自分もただの悪人でしょう。
以前も書いたかもしれませんが、あるときテレビのニュースを見て感動したことがありました。とある事故現場で亡くなった方に花束を手向けている人がいます。その人にキャスターがお知り合いの方ですかと尋ねると、その人はこういうのです。「いいえ、実は昨日、この道を通っていた際にとても急いでいて事故で渋滞になっていたので頭にきて毒づいたんです。あとで、事故で亡くなった方がいたと聞いて申し訳なかったと思って花を持ってきました。」
これだけの話ですが、そういうことができるこの人をすごく素晴らしいと思ったのを憶えています。前日の自分の行動を反省して花を手向けにきたという部分を切り取られたのでとても素晴らしい人にみえますが、もし、事故の渋滞で毒づいているところを切り取れば、きっと、人が亡くなっているのに毒づくひどい野郎に見えるはずです。
最近は色眼鏡で人を見たり、ちょっと人から聞きかじった情報で判断したり、自分より年かさがいっているからとか、若いからとかで先入観を持ったり、そういうことのないように人にフラットに接したいものだと思ってます。